青森県六ヶ所村を訪ねる
2011年 11月 27日
国道45号線を北上し、十和田から4号線に乗り換えて半島の付け根・野辺地に着いたのは、朝の8時です。生憎の天気ですが、陸奥湾と八甲田山の山並みが見事です。

ここから湾に沿って北上し、横浜町の「道の駅よこはま 菜の花プラザ」で買い物をしたあと、半島を横断し、太平洋に面した六ヶ所村に入ります。六ヶ所村というと核燃料の再処理工場をすぐに連想しますが、峠を越えると無数の風車が回っています。

ここは「むつ小川原ウインドファーム」という国内最大級の風力発電所で、77基の風力発電が設置されているそうです。
六ヶ所村に入ると、立派な運動公園や温泉施設が目に付くようになります。「六ヶ所村立郷土館」という看板を見つけ、車を停めました。孤独な旅人がこちらを見ています。(なんだか見覚えのある人…)

六ヶ所村を訪れたのには理由があります。
原発事故以来、福島は「フクシマ」と標記され、今や放射能の町として世界に知られることとなりました。しかし、この「フクシマ」という書き方には違和感を感じていました。
そんな思いでいたとき、シネマリーンからご案内いただき「アレクセイと泉」というドキュメンタリー映画を見てきました。放射能で汚染された村に残り、以前と変わらない暮らしを続けている青年と高齢者の物語でした。
では、六ヶ所村にはどんな暮らしがあるんだろうか?それを実際に見てみたくなったのです。

六ヶ所村の各地から、石器時代や縄文時代の遺跡が見つかっています。そして、豊かな海と森の恵みを受けて、先祖代々平和な暮らしが続いていました。

ここは岩泉町と同じ南部藩の領土で、北海道アイヌにも共通する農具が使われていました。ここが岩泉町民会館でも、おかしくない展示物が並んでいます。

子ども達への環境教育や地元学が行われていることも、岩泉町(あるいは日本中の町村)と同じです。この村で生まれた子ども達にとって、故郷を知ることはとても大切なことです。でも、親の立場に立つと、将来も村に残って先祖から受け継いだ土地を守って欲しいと思えるのか、私には判断がつきません。
次に訪れた「六ヶ所村文化交流プラザ」には、岩手県民会館よりも立派な大ホールがあり、有名歌手のコンサートも度々行われているそうです。さらに村立図書館に入ると、DVDやCDも充実していました。(「六ヶ所村ラプソディー」もありました。)ショッピングセンターもあり、東京のニュータウンのようです。

最後に「むつ小川原港」に立ち寄りました。
ダムや原発ができると、「お金で村を売った」とか、「先祖の海を捨てた」とか、心ない言葉を投げかける人がいます。確かに、必死に反対すれば、六ヶ所村にも再処理工場はできなかったかも知れない。でも、一人暮らしのお年寄りは?ここで生まれた子ども達は?
「原発推進」か「反原発」かの2者択一は難しいけれど、正しい情報を知ること、そして各自が判断し、意思表示することも大切なことだと思いました。そして、一人一人の意思表示によって、国の大きな政策も、少しずつ変わって行くのだと信じています。
日曜日の夜に