地元商店に突撃インタビュー!「第2回:釜津田 正和屋」
2013年 03月 21日
なんでも店名の由来は昭和元年の創業なためだそうで、現在の店主は昭和21年生まれの2代目になります。
とても面白い釜津田の歴史を、次から次へと話してくださり、1時間半、とても楽しい時間を過ごしました。
店主からお聞きした話をもとに書いていきますね。
正和屋さんは、野菜・果物・肉・魚・乳製品をはじめ様々な食品、酒、日用品などを取り扱っているお店です。
移動販売で釜津田をくまなく回って、きめ細かに釜津田の暮らしを支えています。
○開店の経緯
店主の先代は地域でも経済力のある立場で、景気がよかったそうです。
そういった方々に、時の役所は酒を売らないか、と販売免許を交付したそうです。
そんな出で立ちで、米・酒・塩・タバコなどの販売から始まりました。
むかしは道路事情の関係もあり、例えばタバコは13キロ先の大川地区まで運ばれ、そこまで先代は歩いてタバコを受け取りに行っていました。
そのうちに釜津田までタバコも業者が運んでくれるようになり、そうなるとタバコ屋さんは正和屋でお昼を食べて帰ったそうです。
ちなみに、釜津田に電気が通ったのは、昭和35年ごろですが、電話が初めて入ったのも正和屋さん、テレビが初めて入ったのも正和屋さんでした。
店の中に置き、みんなが見に来たそうです。
店主が小さいころは、旅館もやっていたのだとか。
○炭焼きの全盛期とのかかわり
岩泉は特に戦後、炭焼きの人達でたいそう賑わった場所です。釜津田も同じく。
石油が普及するエネルギー革命(昭和30年代半ば)の前までの話です。
そんなこともあって、ずいぶんと他県の人たちが入ってきました。そして、正和屋以外にも、多くの商店があったそうです。
現在釜津田で集落があるのは、川筋の県道・町道が通っている場所ですが、当時、炭焼きをしていた人たちはむしろ山の中腹に住んでいました。
現在のように大型林業機械は無い時代ですので、炭の原料となる山の木を切るのはのこぎり、運ぶのは馬搬といって馬で運んでいましたから、
現場に近いところに居るのが便利だったのです。
山の木を使って簡易な家を建てて住んでいたそうです。
その炭焼きの人たちはヒヨッコと呼ばれ、まとめる親方である元締めさんが居ました。
ヒヨッコの人たちはお金があまりありません。
そんなとき、親方がOKすれば、親方がお金を支払い、商店で買い物できる、そんな形で炭焼きさんを支える仕組みだったそうです。
○牛のセリとの関わり
釜津田は、岩泉町内でも「釜津田セリ」「安家セリ」「袰綿(ほろわた)セリ」と並べて言われるくらい、かつて、短角牛の子牛のセリ(市場:子牛の売り買いの場)が盛り上がる場所でした。
正和屋さんのすぐ近くがセリの場所でしたから、セリのときには、正和屋さんも臨時の食堂で煮しめを出していたとのこと。
食べてみたいなぁ~。
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※きっしーによる補足:
残念ながら、今は釜津田ではセリは行われていません。
1991年に牛肉が輸入自由化されました。
その影響で、短角牛は大きな打撃を受け、1992年に釜津田の市場は、下閉伊北部家畜市場(道の駅いわいずみの隣)へ統合されました。
岩泉町内の短角牛の市場は、下閉伊北部家畜市場の一か所となりました。
さらに、2001年には下閉伊北部家畜市場も休止となり、現在では岩手県の短角牛の市場はすべて、一か所(雫石町)で集約されて行われるようになりました。
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○木材産業の思い出
炭焼きが盛んだったころ、釜津田の奥では、木材産業も盛り上がっていました。
現在も滝の上、櫃取という集落がありますが、それぞれに木材工場があり、学校の分校や商店もありました。
分校には30~50人の生徒が居たそうです。
2013年2月末現在の住民人口が、滝の上:9人 櫃取:8人ですから、大変な盛り上がりであったことが分かります。
滝の上は、釜津田に電気が引かれる(昭和35年ごろ)より前に自家発電の電気を利用しているなど、当時の釜津田の最先端のような場所でした。
今でこそ工場は無くなり、その姿は想像もつきませんが、たいへん興味深い話です。
店主いわく「電気があったもんだから、移動映画は滝の上に来たもんだ。みんなで夜にテーダブに乗って、見に行ったもんだ~。」
(すみません方言を十分に再現できないので、話し方はきっしー風に書いてます)
※テーダブ:現在の岩泉でも現役で活躍している、いすゞ自動車製 10輪駆動 林業用トラックのことです。
店主はさらに思い出を語ります。「以前は、魚がうじゃうじゃいたよ。魚好きな人は夜にカンテラ持って、「夜づき」をしたもんだ。夜は魚がじっと動かないから。」
さらには、そのむかし、釜津田には関所もあったとか。
う~んいっぱいあって、ここには書ききれないな!
○近年の状況
近年は釜津田の人口も減り、高齢者が増え、消費も減少してきました。
(2月末現在の釜津田の人口:305人)
そんな中で肉・魚・乳製品などの販売免許の更新、さらに同じく肉・魚・乳製品の移動販売の免許の更新に5年ごとに約10万円かかります。
一昔前までは、塩・タバコなどの専売品以外は、卸屋さんが運んできてくれました。岩泉町の小川には、県内でも有数の卸屋があったそうです。しかし現在はこの業界で卸屋は衰退しました。正和屋でも、一部の品目を除いて週2回、盛岡の市場から品物を仕入れているそうです。
とても割に合わない商売なので跡を継いでくれとはとても言えない、いつかは自分で辞めるしかない、と店主は語ります。
こんなに面白い語り部とも言える店主の居るお店ですが、なんとも寂しい話ではあります。
しかし、まだ今も正和屋さんは元気に営業しています。
正直言うと、これだけの品ぞろえをよく維持しているなぁと思ってしまいます。
(ちなみに、釜津田には他にも商店があります。のちのち紹介しますね。)
まだまだ話も盛り上がりそうでしたが、そろそろ会社に戻らなければならない時間がやってきました。
また来ますね。挨拶をして、お店を出ます。
お店の前には、凍み大根がぶらさがっています。
店主は、これから移動販売に出かけるようです。
どうもありがとうございました。
釜津田を訪れる皆さん、一服のときには、お菓子の品ぞろえも豊富な正和屋さんにぜひお立ち寄りください。
きっしー