こがわ産直市&炭鉱ホルモンまつり(2)粘土鉱山を歩く
2013年 10月 24日

小川地区の粘土鉱山では、古くに石炭が発見され、昭和8年から正式に鉱山として操業したそうです。
その後、石炭の層と隣接して、最高質の耐火粘土の層が地下100m程度にあることがわかり、石炭を燃料として活用しながら、粘土採掘に切り替えられたそうなのです。
地下深い場所での作業ですから、酸素不足、地下水、ガスの噴出・・・など危険な作業ではありましたが、
ここで採掘される耐火粘土は1,400℃の熱に耐え、工業煉瓦の材料として優秀で、日本一の質とも言われたようです。
戦時には軍需もあり、この粘土の輸送を大きな目的として岩泉線(小本線)は途中まで開業しました。
(岩泉町中心部まで延伸したのは戦後です)
災害で運休中、存廃の議論もありますが、現代まで奇跡的に残った岩泉線。
ここにもルーツがありました。
さて、粘土というと粘土遊びのように粘りけのあるどろっとした粘土を想像されるかたも多いと思いますが、
それは地表にある粘土で、
地下に眠る耐火粘土は固い岩石の状態となっています。
こちらは、その採掘のために地下で使われた削岩機を地上で再現しているところです。
たいへん大きな振動で作業する人も大変です。

(ちなみに、削岩機が穴をあけている岩の右側になにやら構造物がうっすら見えると思いますが、
かつての鉱山工場の煙突あとです。数年前まで、ここには工場群や煙突が残されていました。)
こちらが2種類の粘土です。

上が、良質な耐火粘土(白色)。
下が、赤盤粘土。(赤色)地下の耐火粘土の層のさらに下、地下200mほどのところには「赤盤粘土」と呼ばれ、鉄・アルミニウムなどが多く赤い粘土の層があります。
これは、鉄・アルミニウムなどを取り除けば、良質な耐火粘土になりますが、
その処理に手間がかかるため、試験にとどまり未利用のまま残されています。
かつてはアルミニウムをここから回収する・・・なんて構想もあったようです。
現在はグローバル化・資源のリサイクルが進み、ここにある資源は見向きもされませんが、意外と身近に鉱物資源ってあるもんなんですね。
(利用しやすいかどうかは別に)
山を登ってゆくと、赤い地層が見えます。

これはたまたま赤盤粘土の層が地表にあらわれているものなのです。
現在、時代は変わり粘土鉱山は閉山になりましたが、いまでもその恵みは、このように美しい陶器に活かされています。
(写真は、お祭り会場にて。訳あり品を格安で提供していました「ちょっといま市」。しゃれたネーミングですね。)

粘土鉱山があったという話は聞いたことがありましたが、知っている人から話を聞きながら、見てみるととっても深~い歴史が詰まっていておもしろいですね。
小川地区の「岩泉町歴史民俗資料館」では、この炭鉱の歴史を知れる展示も行われていたようです。
もっと歴史を知りたくなりました。
きっしー