【今年一年間ありがとうございました。】
2011年 12月 31日
今年は大雪で始まり、大地震・大津波、原発事故、台風による河川の氾濫と災害が立て続けにやってきました。そして、今日も仮設住宅で不便な生活を強いられている人たち、悲しい思いを抱えたままの人たちが大勢います。
でも一方で、全国からの激励のメッセージやボランティアに来て下さった方々、そして、たくさんの支援金や支援物資を目の当たりにしました。大震災からの復興には、まずここで暮らす人たちが頑張らなくてはならないと思いますが、このような支援の輪が広がっていることに、励まされ、勇気づけられ、温かい気持ちになっています。
2011年も当社商品をお買い求めいただき、また、「道の駅いわいずみ」「道の駅三田貝分校」「レストラン大地工房」「ふれあいらんど岩泉」をご利用いただき誠にありがとうございました。
年中無休の当社では、今夜23時30分から水工場を稼働し、1月1日0時から「龍泉洞の若水」の製造が始まります。また、明日は8時30分から道の駅の初売りのため、ほぼ全職員が出社します。
2012年も株式会社岩泉産業開発をどうぞよろしくお願いします。
☆いつも「今日の田舎」にも来て下さりありがとうございます。☆
「京たんくろ和牛」という名の作品
2011年 12月 30日
「京たんくろ和牛」は、いわて短角和牛を母に、黒毛和牛を父に持ち、京都「きたやま南山」さんがブランド化した珍しい和牛です。日本海を望む京丹後市にある契約農場で、京豆腐のおからをたくさん食べて育ち、その肉は、短角牛の赤身の美味しさと、黒毛和牛の脂の甘みを併せ持っています。

静かに箱を開けると、顔なじみの短角牛が舞妓さん達と談笑しています。
「牛さんが里山を守ってはるんどすなぁ~」
「京豆腐のおからも食べてはるんぇ~」
特性タレ付きで、「京たんくろ和牛」の飼育環境や肉の特徴、おいしい食べ方、さらには「きたやま散策ガイド」まで同封されています。

箱を開けてまたびっくり。立派な孟宗竹の皮に手作りのピンが刺してあります。

丁寧に丁寧に包みを解くと…和牛特有の甘みのある香りが広がります。

鮮やかな赤い色と「京豆腐」を思わせる滑らかな脂、岩手の短角牛肉より心なしかお上品です。(ここから先は内緒です。一人で食べる訳にはいきませんので…。)
南山さんのギフトには、牛を飼う生産者の思いや、長い歴史の中で培われた京都の食文化、そして「最高の肉を届けよう」という南山さんの思いが詰まっていました。それはまるで「京たんくろ和牛」という名の芸術作品のようです。
京都和牛焼肉「きたやま南山」和牛ギフト
http://www.nanzan-net.com/gift.html
「京たんくろ和牛」のみならず、「いわて短角牛」も扱っていますので、ぜひご利用下さい。
初日の出、の下見です。
2011年 12月 29日
道の駅いわいずみ・三田貝分校には大きな門松が登場しました。

最近では門松もしめ縄もホームセンターで売っています。でも道の駅の門松は、なんと「ふれあいらんど岩泉」支配人の手作りです。
「らんど日和」http://fureailand.exblog.jp/17468953/
芝を刈らせたら超一流の支配人は、門松作りも一流でした。
さて、「龍泉洞の水」の会社で「油」を売っている私は、「初日の出」の下見に小本・熊の鼻展望台に行ってきました。

今朝、岩泉地区は-5度まで冷えていましたが、沿岸の小本地区は比較的暖かでした。日の出の時刻はおよそ6時55分、雲の切れ間から真っ赤な太陽が顔を出してくれました。

展望台から見ると、松林を挟んだ向かいの海から太陽が昇りますが、木々のシルエットもなかなかきれいです。沖を行く船に陽が射しています。

熊の鼻展望台は「旧国道45号線」沿いにあり、車幅も狭いので路上駐車は通行の妨げになります。展望台から少し旧道を小本方面に走ると駐車場がありますので、そちらをご利用下さい。

防寒具を忘れずに。
道の駅いわいずみ・三田貝分校はお正月も休まず営業します。
2011年 12月 28日
さて、「道の駅いわいずみ」「レストラン大地工房」「道の駅三田貝分校」の営業時間をお知らせします。各店とも年末年始無休で営業しますが、年末に一部営業時間の短縮がありますので御了承下さい。

元日は通常通りの営業で、3日まで「初売り大特価市」を開催します。
・テレビ、デジカメ、nintendo3DSなどが当る福引
・お買い得福袋
・当りつき「龍泉洞の若水」(1月1日0時から充填)
・飲料各種特価販売(1箱1,800円)
その他、とてもお買い得です。お土産物も充実していますので、ご家族でぜひご来店下さい。


今年一年のご利用・ご愛顧に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いします。
(「今日の田舎」もたぶん年中無休です。)
食べ物と食卓の記憶(ばぁちゃんの凍みいも)
2011年 12月 27日

日々の食卓には山菜やきのこ、雑穀や季節の野菜類、鱒や雑魚(ザッコ)が並びました。
短角牛と木炭、養蚕で稼いだ現金で塩を買い、玉味噌や醤油豆を作りました。水田ができたのは嫁入りから20年以上たった昭和44年のことですが、食べ物に困ることはなかったようです。

野菜ばかりではなく、肉も食べました。一番おいしかったのはキジで、ウサギやバンドリ(ムササビ)もおいしかったそうです。一度に食べきれないときは味噌漬けにしたり、茹でて塩漬けにしました。

必ずしもおいしくはなかったけれど、シタミ(どんぐり)やヘェ(ひえ)を食べてきたために、80を過ぎた今でも元気に畑仕事ができるのだと思っています。
キミ団子やアワ餅はとてもおいしく、麦けぇ(粥)やそばかっけ、生豆腐は決してご馳走ではなく、日常の食事でした。

最後に聞きました。「生きているうちにもう一度食べたいものはありますか?」
ばぁちゃんは答えました。「食べたいものは、今でも何でも作れんのよぉ。」
(写真)
ばぁちゃんの凍みいも(ジャガイモ)作り
一昨日の記事を見て、NHKの方が電話をくれました。
ということで今日のレポートは伊藤さんへの報告です。
特派員レポート「料理人の原点に戻る」
2011年 12月 26日
ソウルオブ東北は東日本大震災で被災した人々や、東北の食や文化を支援する民間団体で、全国の料理人などで組織されています。
道の駅いわいずみの野中シェフ特派員が、昨日「ソウルオブ東北」活動の一環として陸前高田へ行ってきました。生きることは食べること、共に食べることの大切さを伝えてくれる素晴らしいレポートです。
では、野中シェフ特派員、よろしくお願いします。
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12月25日(日)陸前高田へ行って参りました。
早朝、国道45号線をひたすら南下。午前8時を過ぎた頃、対向車も増え始め街が少しずつ動き出します。
道中の所々に見えた仮設店舗、寒風になびく新巻き鮭、砂浜を失った波板海岸。未だ処理されない山積みの車両、3階部分まで破損したビル、ザラつきの激しいアスファルト、営業できないガソリンスタンド。目に映る景色は様々で山田以南を訪れるのは震災後初めてでした。
高田市内、変わり果てた街の風景・・・あまりにも残酷で言葉なんてありません。
カメラを向けることすらできなかった昨日、複雑な心境のまま街を後に高台のイベント会場へ到着します。

テレビ岩手の年末スペシャル番組を高田から放送するということで、局から依頼がありました。ソウルオブ東北の手伝いが私の役割です。

上空にはクリスマス寒波、吹きすさぶ冷たい風と雪の中、駒場さん(山田町)、佐藤さん(大槌町)、小岩くん(奥州市)計4名で対応しました。メニューは駒場シェフ提案の『ハンバーグクリームパスタ』。
お客様から『美味しかったよ』とのお言葉を多数頂戴致しております。

震災後、料理に携わる方々との出会いが多くなりました。殆どが炊き出しを行ってきた方々です。そして皆さんが口々にこう言います『料理人の原点に戻れた』と・・。
『空腹が満たされ誰かが笑顔になれるなら』その想いひとつで調理してきたに違いありません。誰かが笑顔になれた瞬間、それこそが料理人にとって至福の時であると思います。
実直でエネルギッシュで気配りも思いやりも持ち合わせてて・・そんな料理人の方々ばかりです。

3月12日朝、家族の安否も確認できないまま十数名の避難者へ行った炊き出し。
『昨日残ったご飯』に『お湯』と『本だし』その鍋を温めながら『溶き卵』と『ネギ』を加え『少量の塩』のみで味付け。こんな簡単な『おじや』でも喜んでいただけたこと、それは私にとって大きな財産となりました。
これで私の年内のブログ記事は本日で最後となります。
2011年も残り僅かとなり、振り返れば哀しくも色んなことがありすぎた1年でした。
どの被災地においても復興復旧のスピードは決して早いものではありません。
『来年は良い年でありますように』と単純な言葉ではありますが願うばかりです。
これまで被災地へご支援下さった皆様、各避難所でボランティア活動をなされた皆様
ご心配下さりお声を掛けて下さった皆様、心より御礼申し上げます。
本当に有り難う御座いました。
テレビ岩手5きげんテレビ 今日のひとこと
http://www.tvi.jp/5kigen/message/index.html
ばぁちゃんとの会話に悪戦苦闘
2011年 12月 25日
スローフード岩手では、2002年設立時から、地域の食文化の伝承を一つのテーマに掲げてきました。そして、「食文化伝承の意義は、単に昔の食を懐かしむことではない。先人の知恵と技術がつまった生きる術を失ってはならない。」という及川桂子先生の話を聞き、食糧保存の技術を記録し始めました。
震災で電気もガソリンも手に入らない時に、普段と変わらない暮らしをしてきた高齢者の話を聞き書きすることで、ここで生きる技術を伝えるのです。
題して、「100人のじぃちゃん・ばぁちゃん 食べ物と食卓の記憶」

概ね80歳以上の高齢者を対象に、今と昔の食べ物について聞き取っています。
例えば、
「こびる(おやつ)には何を食べますか?」
「冬の保存食として用意していたものはありますか?」
「おいしくはなかったけど、食べておいてよかったと思う食材や料理は?」
「生きているうちにもう一度食べたい料理は?」
興味深い内容なのですが、全然話が進みません。昔のことを話し出すと、ばぁちゃんの世界は際限なく広がってしまうのです。しかも、こっちの話は聞かないし…
100人の聞き取りが終わったら、「めのこ飯」や「麦けぇ(雑炊)」などリクエストの多い料理を再現してご馳走したいと思っています。それまで生きていて下さいね、みなさん。
クリスマスに来る人は…
2011年 12月 24日

クリスマスイブ、この冬一番の寒気が空を覆い、ホワイトクリスマスとなるのでしょうか。
道の駅いわいずみがある乙茂地区で、赤い服を着たおじさんが目撃されました。

しばらく駐車場を歩き回ったあと、道の駅入り口付近でポーズをとり、店内に入ってきたそうです。(なんだか熊出没のニュースみたいですね。)

ちょっと不思議なサンタクロースですが、子ども達にお菓子のプレゼントを配り、レジ打ちまで手伝って雪の中に帰って行きました。
また、道の駅三田貝分校にもサンタクロースがやってきました。

こちらは少し細身ですが、記念写真を撮らせてくれました。
去年ある女の子が、サンタクロースの存在を確かめる実験をしました。彼女はイブの夜、枕元にあめ玉を置いて寝たのです。もしサンタクロースがいたら、きっとなめるに違いない。
案の定、朝起きると、小さな靴下に入りきれないプレゼントと、あめ玉の包み紙が残されていたそうです。
大人になっても、クリスマスは楽しいですね。
ニッポン道の駅の旅プラス1~那須与一と巨大水車編
2011年 12月 23日
1.道の駅おおたわら 那須与一の郷
那須与一と言えば弓の名手として知られていますが、歴史上に実在した人物で、栃木県大田原市にお墓があるのです。で、大田原市の“ゆるキャラ”は「与一くん」、道の駅は「那須与一の郷」なのです。

情報館・物産品館・農産物直売館・レストラン館・与一伝承館とある巨大な道の駅ですが、離れて見ると、屋根が扇形になっているのがわかりますか?この扇を狙って、那須与一が弓を引いています。
大田原市は農業が盛んです。「白美人ネギ」「軟化ウド」「トウガラシ」は全国に名を知られ、「とちおとめ」に代表されるイチゴやアスパラ、ナシも品質の高いものばかり。産直開店時間の9時にはお客さんの行列ができるほどの人気です。

また、毎週末にはリサイクル品や工芸品の露店が広間を埋め尽くします。ガラクタ市みたいで、掘り出し物が見つかるかも。

道の駅の隣には、那須神社があり、初詣ののぼりが立っていました。参道の杉並木から横を見ると、田んぼに稲ワラのロールがありました。実は栃木県も全国有数の肉牛の産地で、特に大田原市は黒毛和牛(とちぎ和牛)の一大産地なのです。

那須連山から流れる水が田んぼを潤し、その稲ワラが良質な牛の餌となり、その牛の堆肥が田んぼや畑に還元されて、これまた美味しい野菜や果物ができるのです。
2.道の駅 東山道 伊王野(那須町)
那須町は天皇陛下の御用邸やペンションや別荘が建ち並ぶリゾート地として知られていますが、町の東部は八溝山地の麓に位置する静かな山里で、伊王野はかつて義経が奥州から鎌倉へ向かった東山道の宿場町です。
ここもたくさんの野菜類が安価に売られていますが、見所は直径12mと5.6mの巨大水車が並ぶ水車小屋です。

この水車小屋では実際に蕎麦の粉をひいています。
昭和初期には至る所に水車があったそうですが、電気の普及と共に姿を消していったそうです。岩泉と同じですね。

しかし、この水車のおかげでここでは美味しい蕎麦が食べられるだけでなく、「そばうち道場」で実際に蕎麦打ちを体験することができます。12月の第2週には「チャリティー新そばまつり」があったそうです。
ここで、埼玉支局長から電信が届きました。
寄居町の「かわはく(埼玉県立川の博物館)」にある水車は、なんと直径23mもあると言うのです!デカッ!!

柱脚は鉄筋コンクリートですが、車輪はヒノキで、1分間で一回転するそうです。この水車で何をついているのかと思ったら、実は電球がついているんです。(いわゆるオヤジギャグです。)

寄居町、なかなか侮れませんね。
冬の寒さと太陽の温かさが作り出すもの
2011年 12月 22日
▼凍み豆腐作り

▼凍み大根(安家地大根)作り

▼凍みいも作り

▼凍みいもは、意外とオシャレなインテリア。30年は保存できるそうです。

手間暇を惜しまなければ、冬の寒さと太陽の温かさがもたらす素晴らしい冬の恵み。
電気も石油もお金もいらない、貴重な保存食。
国内外の映画祭で数々の映画賞を受賞したドキュメンタリー映画「タイマグラばあちゃん」の中でも、マサヨばあちゃんが「冬の寒さがオレに仕事させる」と言うことを話していました。昭和63年、日本で最後に電気が通じたと言われる川井村(現宮古市)は、岩泉町の隣村です。